永源遥 死去 元プロレスラー リング以外の別の顔
永源遥さんが亡くなったと聞いたのは、昨日月曜の夜遅くでした。
はじめはツイッター。プロレス格闘技系ライターが発信していたので、わたしもツイッターで検索したら、多くの人がつぶやいていたけれど
夜遅かったことや、報道機関や永源さんの所属先が発表していなかったから半信半疑でしたが
日付が火曜日になったら、とあるレスラーが
「永源サン」とツイートしたので、あ、本当なんだな、と思いました。
ファンのツイートや報道をみると、永源さんが全日本プロレスに移籍して以降の、ラッシャー木村さんとのマイクや、永源さんの「ツバ攻撃」に関することが目につきました。
まあ、それはわたしもそうなんですが、まず最初に浮かんだのは、新日本プロレスのレスラーだったんだよなあ、ということです。
わたしがプロレスをみたのは、新日本が最初で、会場でパンフレットを買いました。
そのパンフには、「ワールドプロレスリング」という新日本のTV中継の試合では絶対に放送されない、永源遥の私服の全身のイラストだか写真が載っていて
高級ブランドっぽいシャツ、ズボン、靴、ベルトなどか紹介されていて、さらに財布の中身は20万円だか30万円だか相当な金額が入ってて、常に持ち歩いてるみたいに書かれてあって
前座レスラーの永源クラスでこんな暮らしが出来るなら、木戸修や木村健悟たちは一体いくらもらっているんでしょ
などと思ったものです。
また、長州力たちと新日本を大量離脱した時は、なんで永源が?とも思いました。
それから時は流れ。
永源さんは、プロレスリング・ノアの人になっていました。
現役を引退したあとは、背広姿で、会場のチケットもぎりのところにいつもいたと思います。
自分で言うのもアレですけれど、わたしはノアの「常連」と言ってもよかったくらいなので、永源さんに顔を覚えてもらうくらいになりました。
チケットを出してもぎってもらう時などは、その入り口に立っている永源さんに
「こんにちは」って、挨拶しなくちゃいけないような、つまりシカトしてスルーして会場in出来ないような感じです。
それが、イヤな感じが全然しなかったです。優しくて、デッカイおじさんに、顔を覚えてもらっていると、思うと、嬉しかったなあ。
座席に座って、ラッキーな良席に座っていると「今日は、かなりいい席だねえ」とか、たまに声をかけてくれたりもしました。
ま、わたし以外の常連の人にも、そうやって声かけたりしてましたので、わたしは「自分だけ特別」だなんて思ったことはなかったけれど
新日本や全日本、いうなれば、アントニオ猪木やジャイアント馬場さんの両方の団体にいたレスラーから声をかけてもらえたことは、すごく光栄でした。
そういう永源さんとは別の役割の永源さんの姿を一度だけ、見たことがあります。
ある日のノアの興行の途中で、わたしはどうしても、帰宅しなくてはならなくなってしまいました。
わたしが会場から出ると、永源さんがひとり外に立っていました。まだ、セミファイナルあたりだったと思います。
なんかタクシーが一台止まっていて、永源さんはタクシーには乗っていなくて、誰かを待ってるふうでした。
やがてすぐに1人のレスラーが出てきてトランクに荷物を入れて、そのレスラーだけタクシーに乗り込み、永源さんは見送ってました。
レスラーはノアのレスラーではないですし、そのツアーに参戦中の外国人レスラーでもないです。
そのレスラーは、他団体のレスラー、つまり外敵です。ツアー最終戦ではノアのペルトに挑戦する予定のレスラーです。
外敵を見送る永源さん。
普段は見たことのない永源さんのお仕事の一端を見てしまったような気がしました。
プロレスって、奥が深いなあ、って思いました。
さようなら、永源さん。